羊 喘兒

YANG Qinhua

羊 喘兒

メディアアーティスト、研究者
1992年 中国上海生まれ
2016年 多摩美術大学大学院 情報デザイン メディアアート専攻終了
現在同校にて博士後期課程 美術研究科博士課程 在学中
ポストインターネット時代におけるビデオアートのナラティブとその変容をメインテーマにする様々な研究制作活動を行ってる。 作品は、鳳甲美術館(台湾)、YCC横浜創造センター、東京科学未来館、Blockhouse Gallery(東京)、Organhau Art Space(中国重慶)などにて展示された。

  • 今までの作品について

    今までの作品については、様々なデジタルメディアを使い、現実風景がクラウドサーバーに入って、どのように変質や歪みが生じのか。また、資本主義の文脈における、現実である巨大な人造物は、どのように計算、生産、展示されるのかをテーマに創作活動を行い、リアリティの虚構性を観察させる。

  • 今回のリサーチテーマ

    きっかけ:

    今回二週間の南丹市の滞在活動は、私と他三人のアーテスト同士と一緒、園部町にある合羽家というところで泊まっていた。しかし私は運転ができなくて、毎日みんなは遠い場所へリサーチを行う時、私は旅館周辺しか活動できなかった。壮大なリサーチ活動が出来ず、逆に園部町の日常生活風景をいっぱい見た。
    園部という町は、ほぼ山と畑ですけど、初めて自然とこんな近くに暮らしていた自分は、毎日新たな感動と刺激をもらえた。

    この中で、私が一番印象が残ってるシーンは園部町本町通りになる一つの空き地になった。

    どう見ればただの空き地だが、家屋から山が見えるの透過感は不思議で、絶妙だなと思っていた。でも何日何回でこの空き地を通りすがりすると、やはり寂しさがあふれてきた。空き地はどこでもあるものだが、大都会の場合、いつもすぐ新しい部件が立ち上がて、新たの住民が入って来て、完璧な都市風景に復元する。しかしこちらの空き地は、いつか人が来るのは分からなくて、ずっとお世話にくれる人間を待ってる感じがする。

    とはいえ、もしこの寂しさの根源を探求すれば、人間活動自身かもしれない。荒野というものは、そもそも自然の一部であり、都市化のプロセスによる、文明の対立面になってしまった。人間がここに来て、また離れて、最後この半分荒野半分人造物の合成物が残され、町生活の中嫌され、もしくは見えない部分になってしまった。

    これをきかけて、中間活動報告会の段階として、私は「売荒野」というプロジェクトを提出した。この冗談な販売行為を通じで、「荒野」に価値をづけるというシンプルなつもりだった。まず、私は不動産屋の看板のように「売荒野」の広告看板を作った。そして、園部町の幾つの空き地に設置した。各看板の上、QRコードも付いてます。一つのQRコードは、一つのウェブサイトを繋がっている。QRコードスキャンすると、「荒野劇場」のオンラインページにアクセスできる。

    まとめ:

    地域振興と「商品化」
    レジデンス前期、市内巡りの間、私たちは南丹市各地域による色々な地域振興プロジェクトが紹介してくれた。地域振興というモチーフは、もしくは南丹市に滞在の間、一番聞こえる話しかもしれない。「京都移駐企画」というウェブサイトより、ある南丹市美山町に関する記事がある。その中、「新たな地域資源を掘り起こし、地域との関係性を深め、さらに商品化につなげる」という話しもあった。「商品化」は地域振興事業に対して物凄い重要なキーポイントかも知れない。
    一方、「商品」、「広告」という概念は、自分の創作活動にも一つメインのテーマである。活動報告会で提出した「売荒野」も、オルターナティブな「商品化」行為と見られかも知れない。「売物件」ではなく、「売荒野」としての空き地、ただ名前の入れ替えだが、大きいの意味が変わってくる。
    つまり、本リサーチテーマには、地域の中既に存在している「商品」に注目つもりではなく、色々な町物語を「商品化」にして、虚構な販売行為に通じで、この町を観察する新たな視角を提供すること。

  • コミュニケーションについて

    このリサーチの間に最もこミューニケーションをとったのは、ともにリサーチを行っていたゲストアーティスト荒木さんと他の参加アーテストさんでした。みんなの作品分野や、背景や生活軌跡や全く違うが、アーテスト・イン・レジデンスin南丹というプロジェクトにより、一緒にこのみんなにとしても見ず知らずの町で集まって、最後には友達になって、素敵なご縁と思う。
    リサーチはほとんど一人で行動することだが、毎日全員が旅館に戻ってから、自分の発見をシェアしたり、他の人にアドバイスをもらったり、毎日は楽しかった。
    私のリサーチの間、遠い場所はいけずに、話し合った対象は旅館近くの飲食店の方が多かった。一番印象が残っているのは、「金麒麟」という中華料理屋の女性スタッフだった。彼女も中国の出身で、私に色々な外国人として南丹市で暮らしの感想を教えた。彼女から、南丹市の工場にたくさん中国から来て働いてる研修生がいることも知った。もう一例の面白いコミュニケーションは、私がある空き地で写真を撮ってる時、その空き地近くに住んでるおじさんが私に話し掛けた。「この部件興味がある?」と聞かれた。簡単な説明して後、おじさんは「こういうこともあったが」みたいな顔をして家に帰った。 料理屋さんのスタッフも、私に話しかけたおじさんも、彼らの生活と「アート」は若干遠いし、私たちがやってることが理解不能の場合もあると思う。しかしこのようなコミュニケーションは私にとしてはものすごい貴重な体験を思った。アーテストという、リサーチャーという、私たちの存在がこの地域に生活する人々にとっては一体なんの意味があるか。この質問から始まり、今回の作品プランは住民参加型アートプロジェクトになることが決まった。

  • 今後の展開

    「荒野劇場」ー空き地再生プロジェクト

    ウィルスが蔓延している今だけではなく、いずれの自然災害が爆発した際、我々は人類が絶滅後にまた存在している自然のイメージを想像することができるのではないだろうか。自然は自身の生態システムと組み合わせを調整することにより、何かあったとしても、オーガニック的に続けられる。人類は自然環境の復元できるかどうかを心配する必要がない。したがって、我々は究極の荒野のイメージを想像する際、人類は永遠にそこにはいなく、消えるのである。こういう考え方が、ある意味でまさに人類中心主義であるのではないだろうか。

    本プロジェクトには、人類が自然に携わる現世荒野風景を共同表現する。つまり、人類・自然が二項対立という関係を論じることではなく、具体的、あるいは微小な物事に巡って、その物事の間に繋がるネットワークで集合的な群像を現れるのである。

    キーワード:

    ・空き地:半分人造物半分荒野の合成物であり、人間不在の現世荒野の局部でも見られる。
    ・町とアートの融合、住民体験型芸術祭

    目指す:

    1、美術空間と外部空間の連動
    2、現実空間とヴァーチャル・スペースの連動

    美術館内総合映像インスタレーション+オンライン・シアター+各空き地に設置する作品群(QRコード付き広告看板とか、写真あるいはインスタレーション展示とか)

    つまり、美術館で展示する作品だけではなく、みんなの日常生活の中、軽くてアクセスできし、祭のような町美術館を作りたい。私のこの外部者の目線を通じて、みんなが慣れすぎで無視された景色の生命力や、この町に関する記憶や、野生のロマンスなど、もう一回見せる。日常生活の中で、少し非日常的な風景を作り上げたいと思う。

    報告会の様子:

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