黒木 結

KUROKI Yui

黒木 結

美術家。1991年生まれ。
2017年京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。
作品制作や展覧会企画を行うほか、近年はご飯を作る代わりにご飯を食べさせてもらう「FOOD」という活動や、「おばけの連判状」という複数人での共同制作活動を続けている。

  • 今までの作品について

    身近な問題を私的・公的な面から捉えなおし、理解や解決をはかる機会として、他者の協力を得ながら作品制作や展覧会企画などを行っています。
    制作過程や作品鑑賞時に生じる他者との関係に重点を置くことが多く、これまでの活動として、当時のパートナーと自分たちに合った婚姻届を制作し、役所に提出するまでを行った作品や、依頼者の家を訪れ、その家にあるものでごはんを作るかわりに、一緒にご飯を食べさせてもらう活動などがあります。

  • 今回のリサーチテーマ

    南丹市八木町にある八木城跡、その城にゆかりのあるキリシタン武将の内藤如安について調べました。
    南丹市に来る前の事前リサーチにおいて、内藤如安についての史料の多くが、キリスト弾圧を受けて後難を避けるために故意に書き換えられたり、記録が抹殺されているため、その真偽を鮮明にすることが非常に困難になっていることが分かり、キリシタン弾圧がなく、キリシタン武将が日本から追放されなかった場合の歴史がどういうものであったかを想像するためのリサーチを行おうと考えていました。

  • コミュニケーションについて

    集落支援員八木町担当の八木さんにご協力いただき、八木町の案内からそれぞれの場所にまつわるお話を伺ったり、郷土史家で八木城と内藤如安について非常に詳しい八木さんをご紹介いただき、直接お話する機会をいただけました。郷土史家の八木さんがご自身で作成なさった内藤如安の個人年表をいただくなど貴重な資料を拝見できたことはもちろんですが、おふたりが現在も歴史を学びながら慎重に真実を問い続けていらっしゃる姿が本当に印象的でした。とくに、おふたりとも史料が曖昧であることを前提としながら自分の考察としてしか歴史を語ることができないと明言されていたことにとても誠実さを感じました。

  • ハプニング

    八木町を集落支援員の八木さんが案内してくださる日、八木城付近に設置されている内藤如安顕彰碑にも行く予定で、実物を見るのは初めてだったので楽しみにしていたのですが、天気が悪く小雨が降っており、少し風もありました。顕彰碑の前に着いた際、その横に大河ドラマ「麒麟がくる」にちなんで設置されたであろうのぼり(明智光秀が八木城を落城したとされているため、同じような大河ドラマ関連の広報物が南丹市各地に設置されていました)が二つ立っていたのですが、雨風で旗の部分がぐしゃぐしゃになって竿に巻き付いてしまっている状態でした。それを見た八木さんが落ち着いた様子で、旗部分をきれにのばしてから、内藤如安についての説明をしてくださいました。わたしはその八木さんの様子を最初観たとき、よそ者のわたしたちに、観光地とされている場所が少し見苦しい状態になっているのを見せまいとしての行動なのかもしれないと思っていたのですが、八木さんと別日にお話をしてから、町やその場所を本当に大切に思っているからこそ出てきた自然な行動だったのだなと考えを改め、あのときの八木さんみたいな態度で作品制作をこの場でできたらいいなと思いはじめるきっかけになりました。

  • 今後の展開

    レジデンスの最後に行った活動報告では、「完璧な歴史」と題した、既存の顕彰碑の隣に新たな碑を建てるという作品企画書をプレゼンしました。
    一度は故意に消されようとした歴史を、顕彰碑を建てることや町のPRに利用することは、歴史を語り継ぐための前向きな手法としてあり得るだろうと思いつつも、それによって「故意に消されようとした」こと自体が忘れ去られていくことのないようにしたいという思いから、現在ある石碑を作り変えるのではなく、消されようとしたことも伝わる別の碑を横に建てたいと考えています。それに加え、町の方々の歴史への誠実さや、史実の曖昧さも、碑の形や素材、建て方を選択するときの重要な要素として捉え、碑の再考をしていきます。
    集落支援員の八木さんがレジデンス後に行われる八木町での催しについての情報を送ってくださいましたので、そうした催しをきっかけに、自分が今考えていることについて、町の方々や内藤如安の歴史に興味のある方々とお話し、そのなかでのやり取りも踏まえながら進めていきたいと思っています。

Copyright © Kyoto Prefecture. All Rights Reserved.