小山 渉

KOYAMA Wataru

小山 渉

1992年東京都生まれ、2016年東京造形大学卒業。
社会に存在する様々な人間の想像力を起点に、意識の下に眠る人間の感情/精神について作品制作を行う。
近年の主な活動は、個展“Untouchable”(2019,北千住BUoY,東京)、グループ展“1GB”(2020,スパイラル,東京)、“Escape”(2018,Art Center Ongoing,東京)、パフォーマンス“Phantasma”(2019,blan Class,神奈川)など。

  • 今までの作品について

    私は人間の想像力を着想の起点として、人間の感情/精神について考えるために作品制作を行っています。
    人間の想像力はいつも計り知れない。想像力の欠如は誰かを傷つけ、想像力の豊さは誰かを癒すのか、あるいはただ他者との断絶の壁を突きつけられることになるのか。想像力が過度に行き過ぎた結果には妄想として個の孤立を深めるのか、あるいは盲目的な集団の大きなうねりとして機能するのか。想像するという力は美しくもあり暴力的なものであると考えています。
    私は社会に存在する様々な人間の想像力のコアを探り、意識の下に眠る感情をすくいあげ、多様な人間の精神を見てみたいと考えています。平たく言えば人間に興味があるという事に尽きます。今回の制作(リサーチ)も”想像すること”を起点に考えてみようと取り組みました。

    また、表現で主に扱うメディアは映像作品を中心に制作を行います。私にとって映像は、編集や鑑賞する際は常に流動的な光を浴びせられている時間のように感じていて、流動的な光(現象/物語としての映像)の起伏は意識の底に眠る人間の感情に強く訴えかけるものとして捉えています。

  • 今回のリサーチテーマ

    私は”不老不死から考える現代の死生観”についてを滞在期間中のリサーチテーマとしていました。動機としては、現在のパンデミックの中で死への漠然とした不安から、自然と生きることと死ぬことについて人と話す機会が増えたことや、友人の死期が近いという状況もあって、死生観について関心を寄せていたことがきっかけです。
    レジデンスの事前に南丹について調べていた時、南丹市日吉町四谷の海老坂峠に玉岩地蔵堂という場所があるのを見つけました。玉岩地蔵堂には人魚の肉を食べ不老不死となった八百比丘尼にまつわる伝承があり、私は不老不死という人間の生のスケールを大きく超えた存在に関心を持ちました。そこでふと感じたのが、不老不死は長寿の信仰とされているが、見方を変えると人間の生の実感から最も遠い存在を信仰するということでもあって、その感覚は理解出来ると同時に少しだけ違和感を覚えました。

    神話的想像力としての引き裂かれた生死、身近な人間に迫る圧倒的な死という現実、社会の中での漠然とした死生観、こうしたいくつかの言葉にならない生と死にまつわるものに対して私自身何を感じているのか精査したい思いがあり、点が線となるように制作(リサーチ)を通じて考えることにしました。その為に、リサーチは純粋に人々に話を聞いて回るというよりも、試作のような制作を通じて実際に人やモノや場所に対してアプローチを重ねていくことになります。
    下記に今後の制作の上で私が重要だと感じたものをまとめました。

    ※八百比丘尼について
    日本の伝説上の人物で、人魚の肉(特別な何かともいわれる)を食べたことで不老長寿を獲得した比丘尼(尼)。全国に逸話が分布されていて、大筋は以下の内容です。 ある男が見知らぬ男に誘われて家に招待されるが、男は人魚の肉が調理されているのを目撃してしまい、その後人魚の肉が料理として振舞われる。しかし偶然見てしまっていた男は気味悪がって食べずに土産として持ち帰り、その人魚の肉を男の娘(または妻)が知らずに食べてしまい、それ以来女は不老長寿となる。不老長寿となった女は結婚しても何度も夫と死に別れ、知人もみな亡くなったために悲しみに暮れ、出家する。その後、各地に植物(杉・椿・松など)を植えながら全国を巡り、最後は若狭の洞窟にたどり着き入定(永遠の瞑想=死)したといわれる。

    ※八百比丘尼の死に際に残した言葉
    八百比丘尼は120歳の時に尼となり、全国を行脚した後は故郷の若狭国(福井県小浜市)にに戻り、800歳の時に空印寺の洞窟で生涯を閉じた(入定)とされる。比丘尼は洞窟の入り口にある椿を見て、「この椿が枯れないうちは私も死なない」と言い残して洞窟へ入っていった。現在でもその椿は枯れていないのだそう(咲いては枯れを繰り返す)… まだ八百比丘尼は生きている?という問いが生まれる。

    ※手塚治虫によるマンガ「火の鳥」”異形編”に登場する八百比丘尼のセリフ
    「他の人間が変わって私となり、永劫に私の身代わりが生き続ける事になりましょう」

  • コミュニケーションについて

    現地では、「南丹地域でリサーチ過程で会いたい人がいれば南丹市の集落支援員さんの方々を通して繋げて頂ける」と伺っていて、制作のバックアップをして頂けるのはとても心強く、いつもの制作スタンスであればご協力をお願いしたと思うのですが、今回の滞在ではあえて積極的に地域のネットワークを活用しませんでした。そうした理由には今回のレジデンスではいつもと異なる制作プロセスを試して実験的に自身を試したいという思いがあり、より偶発的で運命的な出会いを期待したいと考えていました。

    まず最初の運命的な出会いは実際に玉岩地蔵堂へ訪れた時に起こり、出会ったのは人ではなく流れ落ちる水でした。神社で見かける手水舎のようなものがあり、管から際限なく水が湧き出ているのですが、その水の勢いが急激に強くなったかと思えば急激に弱まるといったなんとも安定しない水でした。それを見たときにまるで人がそこにいるかのような、もっと言えば八百比丘尼がそこにいるかのような感覚を覚えました。八百比丘尼の伝承が伝わる地でその光景を目撃したことに、何か運命めいたものを感じ、私は水=八百比丘尼と対話をしてみることにしました。私が話をしているとうなずくかのように急に水の勢いが強くなったり、否定的であれば水の勢いが急激に弱くなるといった次第で意思疎通が行われました。この経験から、後に記述もしている「八白比丘尼は現代においても生きているのでは?」という問いが生まれます。

    地域の人では宿泊先のJUJUさんのスタッフのお母さん達、八木の商店を営む方達や園部の行きつけのカフェのご夫妻、はたまた川を散歩している方などとお話をしていく中で少しづつ南丹(一部ではありますが)の雰囲気を感じ取っていきました。皆さんお話すると基本的にウェルカムで、地域の歴史や個人的なお話、仲良くなると地域の裏話などもしてくれたりと、今回のリサーチ的には遠回りな内容を聞いて回っていましたが、最初から設定された直接的な題材を引き出すことよりもむしろ遠回りから生まれたエピソードから何が出来るかを考えていました。また、パンデミック状況下ではありましたが、東京と違い南丹地域の方達はあまり気にしていないというギャップが少なからず見受けられ、中にはニュースのコロナ報道に対して「遠い夢の出来事のよう」と仰っている方が特に印象的でした。今回の滞在での反省点としては車をあまり使用できなかったということがあり、八木と園部に多くの時間を過ごしましたが、次回訪れる機会では積極的に他の地域にドライブしてより多くの様々な方との出会いが生まれることを期待しています。

    他に、ゲストアーティストの荒木さんとは男性の宿泊先として二週間二人で寝泊まりしていた為、様々な話を交わすことが出来た事は私にとってとても重要でした。それに加えてゲスト講師の長谷川さん彦坂さんにお会いできたことも学びが多くありました。また参加作家の方々とは短い滞在とは思えない程とても良好な関係が築け、ドライブや釣り、京都の鴨川で深夜まで話したり、ついこの間もzoomでオンライン飲み会などなど…この先もリスペクト出来る友人として関係を続けていきたいと感じています。
    サポートしてくださった京都:Re-search実行委員会の方々や役所の方々にも本当にお世話になりました。

  • ハプニング

    ハプニングと言われるとややそうではないかもしれませんが、、宿泊先近くの八木の商店街の各所には設置されたスピーカーからラジオが流れていて、そのラジオはノイズが入り込んでいて非常に音質が悪く、選曲も意図が読めない不思議な選曲で、かつては栄えたという商店街も今ではシャッターが目立ってノスタルジー漂う情景がどこか終末感を漂わさせていました。私はなんとなしにそのラジオにフォーカスを当て、三脚を立てたカメラに音と映像を収めようとしていると、通りすがりの地元の方から「何してるの」と声をかけられました。私は「ラジオを撮っています」とお答えすると「あー、そう」となんとも微妙な顔をして過ぎ去って行ったのですが、その方とは何度か滞在中通りすがっていたので、声をかけられたことにややびっくりしたのと、まあ確かにはたから見ると不審だよなぁと思いました。ただ、なるほど不審者であるという要素は、外部からきた者のコミュニケーションとして何か使えるのではないかと私は考え、そこから最後の項で記述した”陸で釣りを行う”という発想に繋がっていきました。

  • 今後の展開

    二週間の滞在を通して、報告会で発表した作品プランは”現代の八百比丘尼を探す”というものでした。
    より正確に言えば伝説上の八百比丘尼の逸話における神話的身体/想像力を、現代に生きる私自身の身体/想像力と重ね合わせることを”探す”としています。
    次回は想像するためのいくつかのプラクティスの実践=作品制作(主に映像作品)を想定し、複数のPJを通して生と死にまつわる何かを見つけられたらと考えます。私自身これらが何を意味していくか実践を行いながら事後的に判断していきます。

    ■以下実践予定のプロジェクトについて(追加や変更も含まれます)

    ”釣りをして待つ”

    海や川でなく、陸で釣りをし、対話する。魚ではない人間が有する何かを釣ろうとする。
    八百比丘尼の悠久の時を想像するには、ゆっくりとした時の流れを感じる事が重要だと考える。
    もちろん800年の永遠とも思われる時間とは比較にならないが、人間のスケールの中でそうした時間に身を置いてみるには、釣りという時を待つ行為に魅力を感じた。待つという行為は、何かを掴みとる行為でもある。
    八百比丘尼にとって全国の行脚の中で無限の生命の声を聞くことが、不老不死の呪いを祈りに変えることが出来たように、私は有限の生の中で出来る限りの声に耳を傾けようと努めてみる。”釣り”のアクションは1人の場合と複数人で行う場合とに分ける。

    1人で釣りをする場合
    作家自身が地域の人々にとっての不審者というエサになって待つ → 人間を釣る 八百比丘尼も自身を見世物小屋に出て収入を得ていた⇨不審者(異物)としての自覚

    皆で釣りパーティーの場合
    楽しいお茶会のような。それぞれが釣竿を持って話をする。

    ※釣れない場合は釣り方を変えてみる。
    釣る人の技術が問題なのか、エサが問題なのか、仕掛けが問題なのか、時間や気候が問題なのか、場所が問題なのか、モチベーションが問題なのか…etc

    ”ペッパーくんを背負って行脚”

    八百比丘尼は地蔵を背負って全国を行脚した。それは罪が許されるためにタスク(枷)を背負うことなのか。
    地蔵ではなく現代の不老不死としてのAI=ペッパーくん。
    ペッパーくんを背負った私の背中はどのような地で動けなくなるのか?ペッパーくんと死生観について話ながら行脚する。

    ”林業の方と樹を植える”

    八百比丘尼は全国行脚の最中に、生命の循環の象徴である樹を植えて回っていた。
    林業の仕事は危険なことも多く、障害を負ってしまったり、最悪死んでしまうケースもある為、労災が高い場合が多いと聞いた。このプランでは林業の方と一緒に対話を行いながら小さな鉢に樹を植えたい。大きなスケールではなく小さなスケールから大きな可能性を見るために。

    ”八百比丘尼の終焉の地、入定した洞窟へ訪れる”

    福井県小浜市にある空印寺にある洞窟に訪れる。
    入定した洞窟や現在も咲き続けている椿の花を見て、私は何を感じるのか。

    ”特別な何かを恵んでもらう”

    八百比丘尼の逸話の多くは、人魚の肉を食べたことで不老不死となったという話が有名だが、どうやら人魚の肉ではなく”特別なもの”を食べて不老不死となったという記述が各地にいくつかみられる。
    見知らぬ人から”特別な何か”を恵んでもらい食べてみる。

    ”最後の1分”

    私の友人が亡くなり葬式に出席した際に、彼は死ぬ直前何を考えていたのか、あるいは何か伝えたいことはあったのかという思いを巡らせた。
    手塚治虫の漫画「火の鳥」は未完に終わっているらしく、手塚の構想では死の間際に最後の1コマを描いて完結にすると生前からインタビューに答えていたようだったが、結局最後の1コマは描けなかった。

    私の個人的な経験と手塚が最後に伝えきれなかったメッセージの二つの要素からこの作品は着想された。
    この作品は1分の中で遺言を残すビデオだ。2channel構成で、一つは私の最後に残したい言葉を1分間でライフワークとして撮影して撮り溜めたもの、もう一つは私が人生で出会った様々な人の最後に残したい言葉を収めたビデオである。
    1分という時間は最後のメッセージとしてはあまりに短く、何かを決意していない限り生きている人たちに向けて言葉を残すには困難だが、私は自身の死が訪れるその日まで言葉を残すということをライフワークとして思考を続ける。人の最後は全てを残すことは出来ないし、何か残せたとしても他の何かは抜け落ちてしまう最後の言葉というジレンマに対して私は抗ってみようと思う。恐らくこの作品は私が亡くなることで完成されるのかもしれない。

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