田中 良佑

TANAKA Ryosuke

田中 良佑

アーティスト。1990年生まれ。
東京藝術大学大学院美術研究科壁画専攻 修了
”社会の中のそれぞれの「私」”という言葉を大切に、この世界で生きるそれぞれの人生の可能性を探っています。

  • 今までの作品について

    最近では、何かというと、外に出て、興味のある人たちにお話を聞いたり、関わり合ったりしながら制作してきました。 それは、自分自身の記号的な考え方や観念的な想像が、実際にお話を伺ったりかかわりあう中で変化し、彷徨い、格闘し、反省などを重ねる中で、想像できなかったかたちで現れていくことが、美しいと思っているからなんだと思います。
    そして、そういった記号的なものと感情的なもののあいだにある、距離や体温を意識化して感じることが、今必要なことだと強く思っているからだと思います。
    でも同時に、その人の一方的な解釈や想像で世界を捉えていくことも、 とても大切なことだと思っています。
    つまり、どんな方法であっても、自分自身の勝手な想いから逃れることはできないので、どのような形で関わり、想像して、表すことがより良いのか、その場 その時の 人や場所のことを感じながら、考えて生きたいなと想っています。
    また、それを観る人にも、そのプロセスや美しさ、想いなどを感じ取って想像してもらえるように頑張りたいと思っています。

    それぞれの具体的な作品については、webも見てくれるととっても嬉しいです。
    http://lalalalarush.wixsite.com/ryosuke-tanaka

  • 今回のリサーチテーマ

    京丹後にはたくさんの伝説があり、観光情報にも「七姫伝説」という、京丹後にゆかりのある歴史上の7人の女性が紹介されていました。
    僕はその中でも、戦国時代の有名なキリシタンの女性「細川ガラシャ」についてまず興味を持ち、リサーチを始めました。
    彼女は明智光秀の娘として生まれ、当時日本にやってきたばかりのキリスト教を信仰し、父の謀反、豊臣秀吉による幽閉やキリシタン弾圧という厳しい境遇の中で、その信心を守り抜き死んだという伝説的な物語を持って語られる女性です。(諸説あります)
    そんな彼女は、京丹後の「味土野」という山奥の集落に、父が起こした本能寺の変のために、数年間幽閉され、寂しい日々を過ごしたと言われています。
    彼女の人生は、1698年にはもうすでにウィーンで殉教者を讃えるオペラになったり、現代でも文学やドラマで様々なイメージを投影され、象徴的に語られています。
    隠れ切支丹をテーマにした小説「沈黙」などの作者である遠藤周作も、細川ガラシャについて「日本の聖女」という一編の小説を残しており、その中では、ガラシャのキリスト教への信仰についてこう書かれていました。


    “「だがなぜ、奥方は切支丹の教えに心を動かされました」とパードレが問われると、小侍従は少しためらい、「お寂しいからでございます」と呟いた。人間、誰もが寂しいものであり、何もあの女性お一人ではない。寂しくて仏の道をきく日本人は多いのに、なぜ、仏僧のもとには行かず、わざわざ切支丹の教会に来られたかと訊ねたかったが、小侍従殿はそのまま話を変えられた。 ―中略― 奥方の寂しさには露わに語れぬ何かがあるように私には思われた。”


    “現実世界の汚れや苦悩をすぐ棄てて、浄土を願うのが日本人の宗教ならば、奥方は切支丹として死んだのではなく、日本人の宗教で亡くなったのだ――そんな声が耳の奥でした”遠藤周作「日本の聖女」 新潮社「夫婦の一日」(2000)より


    これらは遠藤周作氏の捉え方で彼女を描いたものですが、僕自身の関心の一つに、ある場所に違う価値観がやってきて、 一人の人の中で世界観が愛憎入り乱れて色濃く混ざり合っていような一言で割り切れないもの、というものがあるのでその描かれ方に強く惹かれました。
    僕は、彼女の”寂しさ”をもっと想像したいと思いました。その寂しさは、僕には時代を超えた寂しさに思われて、彼女の溜め息のようなものが、耳のそばでするような、そんな気がしてしまったからです。 というようなことを大げさに想像しながら、実際に彼女が幽閉されていたという京丹後の山奥の今は廃村になってしまった村「味土野」を訪れました。
    ペーパードライバーだった自分にはとてもハードな離合不可能の険しい山道を縫うように進み、電波も届かないその先に、村はありました。
    そこには彼女が実際にかつていたことを表すものは何もなく、あるのは記念碑と観光の案内板だけでした。
    しかし、かつて彼女の家があったという場所に生えた柔らかい草に座り込んで、彼女が「寂しい」気持ちで眺めていたのかもしれない山々に囲まれながら、彼女のことを想像してみました。
    たまに風が吹き木々が音を出すたびに心細い気持ちになり、ガラシャを少しだけ確かに感じられたような気もしました。
    でも、それ以上に彼女の存在のリアリティを感じるは一体どうしたらいいのか、途方にも暮れました。
    そんな時、「味土野」には、現在でもただ二人の方が住まれているということを知りました。
    そしてそのうちの一人は、数年前に修道院をやめて味土野に移り住んだ元シスターの方でした。
    地元の方の協力のもと、その女性にお会いすることができました。
    彼女は、「この現代社会で本当に信仰すること」を考え求めて、最終的にこの味土野にやってきたとおっしゃっていました。
    都市を離れ、山奥の質素な家屋で生活をする彼女の、その静かながら気丈な語り口と、信仰への思索は、僕の生活を顧みさせるとともに、どうしてもガラシャの存在を思い出させました。
    リサーチ報告会では、そういった出会いの体験をもとに、その彼女の生きてきた人生や、ガラシャについての想いなどを話していただいたインタビューを上映せていただき、”昔”と”現代”の二人の女性のかすかに重なる部分についての想像をこころみました。

  • コミュニケーションについて

    今回、「荒山未来塾」という地域のエキスパートが結集した頼もしい方々に町のアテンドしていただき、とてもありがたかったです。
    未来塾の方々には、伝統的な地蔵盆への参加や庭でのBBQ、郷土料理のバラ寿司をいただくなど様々な場面でとてもお世話になりました。8月末の、むせかえるような暑さの中で汗をこぼしながら伺った町の話やその空気を忘れることはできません。
    また、先述した「味土野」に住むただ二人の住人の方も、突然の機会にも関わらず、快くお話をしていただき、本当にありがたかったです。
    そして、他のアーティストとは一つ屋根の下で毎日経過を報告し合い、お互いに感化され、とても刺激的でした。彼らと一緒にドライブしたり、海に飛び込んだり、温泉に通ったり…そういう広い意味でのリサーチもとても楽しかったです。

  • 今後の展開

    今後も中心に考えたいのは「細川ガラシャ」と「味土野」という廃村になってしまった村です。東京に帰ってきてもなお、味土野の深い緑に落ちた静けさが胸を通り抜けています。
    細川ガラシャは、僕自身興味を持って調べ始めましたが、歴史家でもなんでもない僕が、近代以前の”昔”を生きた人間について語るときに、どうしても存在が遠く感じてしまい、そこに人間が想像しづらく、今までにはない困難さを感じていました。
    でも、確実にそこに人は生きていて、やがて僕自身も歴史の流れの中にあっけなく消えていく身として、”歴史上”の人間について向き合うことは自分たちの未来と向き合うことだと思え、僕はそれを今諦めたくないと思っています。
    なので、そのためには僕一人ではなく、今回お会いすることのできた味土野の住人であり元シスターのクリスチャンの女性の話を引き続きお伺していきたいです。
    そうして、細川ガラシャという人の”寂しさ”を、”神様を信じる”という時代を超える行いを通して、もっと血の流れるものとして想像することができないだろうかと信じて、考えていきたいです。
    また、「味土野」という場所は、京丹後の他の地域の人たちにとっても、かなりの辺境の存在と感じている方が多いようでした。
    近現代の生活のスタイルとは合わずに、不便さなどからやがて人がいなくなってしまったその場所で、東京からやってきたばかりの自分が、どのようにその場所の想いと関わることができるのだろう?
    実際にかつて村に住まれていた方に話をお伺いしたとき、村には「味土野大滝」という滝があって、かつては子供でも遊びに行ける遊歩道が滝まで続いていたそうですが、今では跡形もないほど山に還ってしまっているという事をお聞きしました。
    僕も滝を見ようと道なき道をかき分けて、それは心もとないロープに掴まり滑りながら森に突っ込んでいく厳しい道でしたが、その先にあった滝は、とめどなく静かに流れていて、とても美しかったです。
    そういった体験を大切に、引き続きかつて住まれていた方たちに村の想い出などを伺いながら、まず道なき道を歩いていこうと思っています。
    主にそのことを考えていきたいですが、それにとらわれ過ぎずに、町全体のことも感じながら、やわらかい気持ちで京丹後を歩いていきたいと思っています。