
MAETANI Kai
前谷 開
1988年 愛媛県生まれ。
2013年 京都造形芸術大学大学院 芸術研究科表現専攻修了。
自身の行為を変換し、確認するための方法として主に写真を使った作品制作を行う。2017年 写真を扱うアーティストグループ
「Homesick Studio」を結成しHAPSスタジオを使用。2018年 記録にまつわる作業集団「ARCHIVES PAY」に加入。
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今までの作品について
自分自身の内面へ興味や、自分と集団や場所との関わり方をもとに、幾つかの作品を並行して制作しています。自分が行う何らかの行為の様子や、その痕跡を、主に写真で記録して作品としています。これまで、カプセルホテルに描いた絵や、住居の床下に掘った穴とともに、自身のセルフポートレイトを撮影する作品や、舞台に出演しながら写真を撮る、などの作品制作を行い、徐々に対象とする範囲を展開しています。
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今回のリサーチテーマ
今回の、京丹後でのレジデンスに応募する少し前から、東アジアに興味を持っていました。昨年、韓国と中国を訪れる機会があり、その後も東アジア地域の風土や歴史について調べているところでした。京丹後に面する日本海を通じて、大陸との関係をリサーチできないかと考え、今回のレジデンスに参加しました。
京丹後には多くの古墳群が存在していて、久美浜湾から丹後半島の先端である経ヶ岬までの海岸線を、自転車で移動しながらリサーチを行い、古墳や神社など気になった場所にできるだけ立ち寄っていきました。古墳や遺跡の解説を見ていく中で、古代における大陸との交易についての知識を得るとともに、現在の京丹後の地理についても少しずつ理解していきました。古墳や古い石碑などが多く残っている一方、使われなくなった建物が放置されている様子も多く目にしました。それらは、おそらく、この周縁地域において経済とはほとんど切り離されているものたちで、どちらも、ともに放置されていく中で、物質的な耐久性の高い石碑や地形が残っていくのだと理解しました。また、鳥取から丹後半島にわたる海岸地域は、山陰海岸ジオパークエリアとして自然環境が保護されていていて、点在する玄武岩の岩々からは、日本列島がアジア大陸の一部であった頃から現在までの時間を想像することができました。
丹後震災記念館はリサーチの中で最も印象的な場所でした。丹後震災記念館は、1927年(昭和2年)に起こった北丹後震災を記念して建てられた建物で、耐震性を重視して建設されましたが、経年劣化によって現代の耐震基準を満たせなくなり、2012年に封鎖されていました。封鎖される以前は、行政の事務局や、図書館、剣道の武道場、遺跡からの発掘品の保管場所など、様々な活用がされていた建物で、内部を見学したところ、震災を記念して描かれた絵画や、発掘された土器、剣道の道具などもそのまま館内に残されていました。この地域における複数の時代の断片が同時に存在していて、とても興味深い場所となっていました。今後、この場所についても調べていきたいと考えています。 -
コミュニケーションについて
リサーチの間に最もコミュニケーションをとったのは、ともにリサーチを行っていたSIDE COREの3名と他の参加アーティストたちでした。普段は自分より年上の世代のアーティストとの交流が多いのですが、今回の5人の参加者の中では自分が最年長だったということもあり、自分より若いアーティストたちと知り合えたのはとても良い刺激になりました。地域の方々との交流もあり、特にお宅を宿泊場所として提供していただいた荻野さんには、いろいろと助けていただく場面も多くありました。とはいえ、リサーチにあたっては基本的に一人で行動することがほとんどで、誰かと深く話し合ってコミュニケーションをとることはありませんでした。今回のリサーチ対象としては、地域の人々の生活にはあまり重点を置いていなかったということもあります。 私がアーティストとして地域に関わるときに、とることのできる態度は、部外者としてのものです、しかし、ある程度は理解し合いたいという思いはあり、今後の活動についても、理解してもらうための前提ができつつあれば良いと思っています。
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今後の展開
今回のリサーチで集めた資料を整理して、その周辺のことを調べたり、また何度か京丹後を訪れてリサーチしようと考えています。歴史をふまえながら、現在の人々から忘れられようとしていることを作品化したいと思っています。
来年の京丹後での展覧会では、今回、リサーチに参加したアーティスト全員が展示を行う方針であるということで、丹後震災記念館での展示を目指しつつ、京丹後地域の周縁性など、普遍的なことについても、京丹後のリサーチを通して考えていきたいと思います。